聖書

言葉と行いが違う…
彼らは言うことは言うが、実行しない。  杯の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
(マタイ23)

その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者たちを誘惑し、その心は欲に目がありません。
(ペテロ第二2:14)

彼らは、むなしい大言壮語を吐いており、誤った生き方をしていて、ようやくそれをのがれようとしている人々を肉欲と好色によって誘惑し、その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。
(ペテロ第二2:18〜19)

見えのため…
彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本もさわろうとはしません。彼らのしていることはみな、人に見せるためです。
また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。
(マタイ23)

幸せを約束するが真実は語らない…
実に、彼らは、平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。
(エゼキエル13:10)

彼らは、わたしを侮る者に向かって、『主はあなたがたに平安があると告げられた』としきりに言っており、また、かたくなな心のままに歩むすべての者に向かって、『あなたがたにはわざわいが来ない』と言っている。
(エレミヤ23:17)

利益を求める…
その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。
(ユダ:16)

やもめたちの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。
(マルコ12:40)

彼らはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、『主の御告げ』と言っている。主が彼らを遣わされないのに。しかも、彼らはそのことが成就するのを待ち望んでいる。
(エゼキエル13:6)

神よりも人の考えを重んじる…
『彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。
(マルコ7:7〜8)

人を惑わす…
にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
(マタイ24:24)

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